土曜日はそれまでの調子の悪さを主治医に訴えました.結局原因不明で,薬を取り替えて貰おうと思った試みは挫折しました.唯,悪心は抜けて,今は痒みと気管支炎のような呼吸の少しの苦しさ(副作用だと思います)が交互に訪れますが,そろそろPracticeも気を取り直して0リセットから始めました.でも余り不調を訴えるともう再検査手術やる気満点ですので,なかなかこれも難しいですね.それだけ金属が入っているので,違和感が当然ありますってと言ってくれて,少し安心しました.
さて,びっくりしたのですが,庵原のお客様の内,複数人のお客様から最初の南京都軽便鉄道協会の祐徳のブタやRuston & Proctorを買って頂いたり,予約を頂戴しており,吃驚しました.多分20年程前?Webにも黎明のページで書いていますが,もう無茶苦茶だった最初のキットです.高価なキットを買って頂いた上に暖かい言葉もかけていただき本当に感謝です.しかし,思えば遠くに来たものだとつぶやかざるを得ません.
さて,庵原も弊方都合で12月に2個,ドイツに今週中に送って一応の頒布を終わりますが,ドイツのお客様とは意気投合してしまい,色々議論してしまいました.皆さんも御存知のEggerの2号機を再生した方です.でプロトタイプは何かと直ぐ質問してしまった訳です.これは最近,NGJ(Narrow Gauge Junction)でも話題になったものです.
結局2号機だけの出自については分からないという結論でした.私はある本でオーストリーのブレゲンツ森林鉄道の写真を参考に作られたと書いてあったと主張したのですが,ああ,それEgger Bahn(EB)の見解みたいなもので,ブレゲンツといや観光で行く人も多かったのでTacticalな宣伝用じゃないかなということでした.彼もEBの公式アナウンスを信じて国内の写真をとりあえず当たってみたけど,終に見つけられなかったということでした.
両者同じ意見であったのは,あれはコッペルではないと思うと言うことでした.彼はドイツ人らしく,ヘンシェルだと思うと書いていましたが,とにかく一つの小型機の象徴としてデザインしたので,あのような本当に誰からも愛されるものとなったと書いていました.でも失礼ながら,ドイツの初期機関車(今でも)フリーランスは極めて珍しく,何故2号機−1963〜64年頃-にあのようなデザインの機関車を出し得た,あるいは出そうとしたのか非常に奇異に思えました. (続く)

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